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ゴールド金賞の呪い

めっきりコンクールシーズンですね。

狂ったように同じ曲の同じフレーズを吹く季節がやってきました。

曲名と年は忘れても、運指と音と、なんかリズムに無理やりつけた変な歌詞はおぼえてます。

高校の頃から仲良かったJOKERSの友達が、三条河原町でおんなじところばかり歌っていてイラッとした思い出があります。

当時から私はコンクールよりマーチングが好きでした。

なぜなら当時はオーディション無くコンテストに出られたからです。

吹奏楽連盟のコンテストに出場していた母校は、私の卒業後数年たったときに81人規定という人数制限によりオーディションをするようになりました。

初心者、受験生から、付属校のため進路がすでに決まっておりテストをこなすだけの暇な学生まで、みな大会に出ることができたマーチングだったのに。

中には、コンクールもマーチングもアンサンブルもソロコンも出られない生徒もいます。

評価のつく大会だけが活動の全てではありませんが、目標にしていた大会に出場すらできない生徒がいることは、少し複雑でした。

まぁでもいけずして人数制限を作ったんでは無くて、部員の少ない学校でも、部員が3桁をこえるような有名校でも、「数」で優劣が生まれないよう平等に審査してもらえるための配慮です。たぶん。

定期演奏会でのステージマーチングは皆経験できますが、30×30フロアでのマーチングは、多くの学校は大会だけですからね。みなに経験してほしい。マーチングを好きになってほしいなぁ。

ステージだけの良さも、もちろんありますけどね。

学生の頃からコンクールやアンサンブルコンテストなど、ステージ、フロアに乗れなかった仲間がいる本番でどうしても背負わないといけない(私が勝手に背負ってたのかも)ものがありました。

それは「ステージに乗るのは選ばれたメンバーだけですが、これは部員みんなの本番。だから、みなでメンバーを応援し、メンバーは目標のために頑張りましょう」というもの。

当たり前っちゃあ、当たり前のこと。勝ちに行くために、可能性の高い編成、曲、そして、メンバーで挑むのですから。

そこで、選ばれた側だった私に生まれた責任は「金賞をとって関西大会でまた金賞をとらないといけない」という重く、思いがけなく受けた、アシタカの腕のうねうねみたいなもの。

自分が勝手に考えすぎなんでしょうが、わりとそれで苦しみました。

目標にしていた賞をとれず、メンバー外からキツイことを言われたこともあります。今は仲良いけどね。

なので、「金賞とらないと」という責任で楽器吹いてました。

卒業生からの期待や、応援も、嬉しい反面、プレッシャー。

部活帰り、駅ビルの大階段で紙パックのリプトン飲んで喋ってる時間の方がリラックスしてた気がします。

部活動は楽しかったです。

しかし、オーディションのあった大会の思い出は、良い思い出と同じくらいうねうねの思い出があります。

そして、真夏のピークが去った後、やってくるのがマーチング。

コンクール時期にメンバー外はマーチングの練習を先にしてたので、コンクールメンバー外のほうが動きは上手かったりしました。

初心者の生徒も、必死にくらいついて、はじめての評価される本番に向けて努力してました。

そこでもやはり、オーディションが無くても「賞」「評価」はつきまといます。メンバー外だった仲間と金賞とりたい、去年より評価は落とせない。

ぐるぐるうねうねしていました。そんなこと考えるより、練習しろと、タイムスリップして言ってやりたくなります。

卒業してから、目標達成できなかった後輩に謝られたことがありました。

「本番までサポートしてくださったのに、金賞とれませんでした、すみません。」と。

そんなふうに思わせていたのかと、ショックを受けたのを覚えています。

一方で、そのようなうねうねとは遠いチームがありました。

冒頭の三条河原町で変な歌歌ってた友達に連れられて、怖い大人のチーム(あくまで当時のイメージ)へ見学にいきました。今は怖くない。


やりたい音楽、パフォーマンスをして満足すればいい。

しかし「下手でもいい」のではなく、満足するレベルは高くないといけない。

昼休みにこんな話をされました。

大会へは出るけど、金賞を目指すわけでは無く、ショーを披露する場所があればよい。そのために推薦もらって、全国いきたいねん!とおじさんがいってました。

たしかに高校の時も、「このメンバーでまだ演奏したい」「この曲吹いてたい」「関西いけなかったらこの数分で終わりか」と思ってました。

いろんなうねうねを削ぎ落として、というか、もっと純粋に音楽してた頃を思い出したとき、小学6年生の頃の音楽発表会でティンパニを担当してたことを思い出しました。

秋の音楽発表会の本番。始まって、数分でおわりました。

あっけなかった。春から、死ぬほど練習して、音大卒の担任の先生にティンパニ教えてもらって、家帰ってからも練習して、朝も、放課後も練習して、これで終わり?

そのもやもやを思い出しました。

まだこの曲したいのに。この6年生で、この先生の指揮で、本番したかったのに。

と、思っていました。

たぶん、何年もJOKERSにいるのは、この辺の感情がベースにあると思います。吹奏楽入ったのも、もっといろんな人の前でいろんなことしたかったから。

大会の形として、賞、評価がつくのは仕方のないこと。ただの発表会になってしまうから。

でも、自分達が心から満足して楽めるショー、出し物には

周りの評価が後からついてくる。上手い下手、を超えたおもしろい!って声があるはず。

目にバナナ刺さる感性の持ち主は別として。

(それはそれで楽しんでくれてはったのでいいですが笑)

大会が近づくと毎年この呪いのような負の感情が朝から晩まで覆っていました。

でも、心から楽しんでる大人たちにであって、自分もその大人のひとりになって、うねうねはどこかへ行った気がします。

大会は悪いことばかりではないですよ。もちろん。成長させてくれます。時間の大切さや、努力の成果、人との関わり方など。うねうねの原因は、自分が卑屈でめんどくさい生徒だっただけかもしれません。

すくなからず、高校時代の全ての思い出は、いまの活動に活きています。

高校の時、部活動で教えてもらった音楽をする楽しさを、JOKERSでさらに昇華することができた気がします。

体力的にしんどいけど、コンテが来て、曲が来て、プロップの設計がきて、こんなにワクワクできる夏はたぶん他の大人にはありませんよね。

一般団体にはいっているみなさんならわかるはず。

そしてやはり、夏に活動ができることがどれだけありがたくて、楽しいか。

大会に出られるうれしさ。お客さんにショーを見せられる楽しさ。

賞も大事ですが、出られること、活動できることが何より大事なんです。

今年もJOKERSはいろんな本番を予定しています。

今年は近畿外にも行きたいですね。

生徒諸君、楽しんだ後に評価がつくので気負いせず。

でも、怠けていい理由にはなりませんよ笑

呪いの解ける音は、Gの爆音でした。

熱中症とアイスへの欲望と戦いながら、JOKERSは今年も暑い夏を楽しんでのりきります!

見学もおまちしていますね。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

Bugle Line

木村友譲


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